ご近所の素敵な畑には、いつも見惚れているのですが、
「もし良かったら。お好きそうだと思って」
と、ちょうど畑から戻ってきた私に、
ラベンダーの束を分けてくださいました。
幸運ー♡
仲間の一人が朝、摘んできてくれた、フレッシュなプチグレン
(ビターオレンジの葉っぱ)とネロリを蒸留。
実際に手を&口を、動かしてくれているのは、参加してくれている心強い仲間たち。
私は掃除とか、配置とか、タイミングとか、場を整えるエネルギーの調整みたいなことをしています。
そして今回は、私にとって、非常に言葉に詰まる、そして、
人間とそれ以外の生物とのインタラクションの感受性を揺さぶられる出来事もありました。
それが生きものを苦しませる行為で、自身の腐敗に繋がることとは気付かず、
ただ、私への思いやりから、仲間の一人である友人が、
いずれ自分となる食材である岩牡蠣に残酷なことをしました。
(こういう言いにくいことを互いの成長に繋げる伝え方を知りたい)
大切に届けられた品物のふたを開けた瞬間、
岩牡蠣の痛々しい姿が飛び込んできて、ヒリヒリして、泣いてしまった。
在りし日の、美しかっただろう姿が目に浮かび、悲しかったです。
命の循環を知っている彼女なのに、なぜ、想像できなかった。。
いや、きっと、私含め多くの人間が悪気なく気づかず他の命を痛めつけている。
その結果は自分に帰ってくるというのに。
ということに、私たちは今、気付き始めているのだと思います。
神経締めした魚が美味しいのは、魚を脳死状態にし、自分が死んでいることに気づかせないため、熟成するとイノシン酸に変わる旨みの元とも言われる神経伝達物質ATPが魚が死ぬときの苦しみやストレスによって消費されるのを防げるから。
苦しんで死んだ生き物は臭うし、硬いし、その苦しみごと食べることになります。
それは普通であれば口にしたくないです。
でもこの場のオーナーとして全て受けとめて共に生きるよ。
有難いランチでした。
こんなめんどくさい私にいつも付き合ってくれてほんとうにありがとう。